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ゲーマーがコスプレして自転車に乗る

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蓋が閉められる、その前に





実は先月末に職場関係で不幸がありまして、しばらくバタバタしておりました。


まだ小さな命でしたが、それがもたらしてくれたすべては、失ってから気付くんだなぁと。
彼は、はじめて受け持った子どもたちのうちの一人でした。

私は悲しい場所に行くとダイレクトに体調にくるタイプで、はじめてのそういった現場で体調を崩して以降、たとえ近しい親族の時であってもそういう場所は避けてきました。
色々寄ってきちゃうんじゃない?と周りには言われたこともありますが、そういうのまったくわからないので、実際はどうだか…
今回は仕事でしたので行かざるを得ない状況でしたが、そこまで体調不良になることもなく、きちんとお別れしてくることができました。
子を亡くした母の姿というものを目の当たりにして、自分の体調どうこうの話ではなかったからかもしれません。
棺を閉められる間際の、母の悲痛な叫びは、きっと一生忘れることはできません。
さみしくなりますが、彼の死を、今を生きる子どもたちの糧としてどう生かせるかが、私の仕事です。

知らせを聞いて以来、本を読んだ時などにそこから受ける感覚に少し変化がありました。
ほんとうの死を知っている人の作品は重くて真実味があるな、と。
今までは創作上の死はただ美しいだけでした。
最近は重みを感じます。
育ての祖父を亡くした時には、自分が子どもだったこともありいっぱいいっぱいでしたが、なるほど、死を知るということは、客観的に死を見ることができてはじめてわかることなのだと思いました。

あとひとつ気付いたことは、私は映画や本ではすぐ泣けるタイプですが、現実では泣けないタイプのようだということです。
現実で泣くとマスカラでパンダになりますから、まあ意地でも泣けないわけですが…

私なりに色々考えまして、たくさんのことに気付かされました。
彼の生きた十年間を意味のあるものにしていくために、また遺族の支えになれるようにしていかなければと、まだ具体的にどうしようというものはまだありませんが、ぼんやりと心に思うのでした。
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